ブラフマチャリア

 
ブラフマチャリア、、、、パタンジャリーのヨガスートラに記されているアシュタンガヨガ(八支則)のヤマの戒律の一つ。

禁欲とか節制なんて言い方もされる。

「ハタヨガの真髄」の中ではこう書かれている。

「ヨガでは精液の乱用は、死へとつながり、寿命を縮まるものと考えられており、精液を保つことにより、ヨギの体は甘い匂いを生み出し、精液をコントロールする限り死への恐怖はないとしている。」

だからといって、セックスするなとは言っていない。(ある一定の時期必要かもしれないが、、、、。)
こうも書かれている。

「人間愛、幸福を経験しないで神の愛を知ることは出来ない」

私は修行とは俗世から離れて、俗世から逃避することではないと思う。社会的責任から逃れることでもない。ヨギは自由人であるでも、無責任であってはならいと思う。


アシュタンガビンヤサヨガのプラクティスをすると、心の扉が開放する。そしてエネルギーが漲って来る。そのエネルギーをコントロールすることが大切だと思う。心の扉を開け放ち、自分の感情と向き合いコントロールしなければ、ヨガの練習をしながらおかしな方向に行ってしまう。

特に、師弟関係においてしっかりとした強い意思をもたなくてはいけないと思う。
男女の師弟関係は恋愛関係になりやすい。生徒は先生を頼って来る。知らず知らずのうちに依存関係に陥っていく。エネルギーを感じあうヨガでは余計、自分自身をコントロールして行かなくてはならい。ポーズのアジャストが上手とか説明が上手いとか哲学を良く知ってる、、、、とかがヨガティーチャーというものだろうか。


私は自分自身が非常に依存心が強い、、、だからこそ生徒さんに対して、必要以上にかまってしまいがちになる。そうすると、一人で立てなくなる。練習は自分のものなのに、先生がいないと、見ていてもらわないと出来なくなる。またはそれがプレッシャーになり、追い込む結果になる。

前に私が「生徒さんっていうか友達〜」って男性のヨガ友達に言ったら「生徒は友達じゃない、しっかり分けなくてはダメだ」と言っていた。彼は若いヨギですでにアシュタンガを教えている。素晴らしいアサナをする。若い男性のヨガティーチャーにとってブラフマチャリアがどれだけ大変なことなのか、その言葉から感じとれた。


自分の欲求に気かなければ、欲に溺れていることにさえ気づかない。
自分を見つめること、、、そして、エネルギーを自分の煩悩に乗っ取られないこと。
止めどなくエネルギーが流れて行き、生気を吸い取られる。

自分が賄いきれる分のことをしたいと思う。
ヨガのクラスもそう。。。背伸びをしたり、必要以上のことはできない。
自分の手に持ちきれる分のものを大切にして行きたい。
自分の欲するままに行動すれば、大切なものまで失う。
頑張ってどうにかするものではなくありのままの自分で抱えきれるものを持とう。
頑張って、、、外ばかり、、、、自分の功績や見てくれに目を向け、自分自身を見つめていないのなら、それは自分を大切にしていないとこではないだろうか。

苦行ってのは辛いことをすることではなく、苦から目をそらさず幸福を見つけることだと思う。
苦を味わうほど、新たな甘美な幸福を知る。
[PR]

by prema8ryn | 2006-10-03 18:54 | yogiヘの道

<< 踊ります。 まただよ、、、 >>