緑に包まれたまち
走るバスの窓からは緑しか見えなかった。鮮やかな緑だった。緑しか見えなかったが、多彩で豊かであった。それが私の最初の高畠の印象であった。思わず顔がほころぶ。体全身が喜んだ感じがした。緑に囲まれた高畠は刺激的な町だった。
初めにお話をしてくださったのは、有機農業をされている星寛治さんだった。その星さんの口から出てきた言葉に私は驚かされた。「土は命の曼荼羅です。」私はヨガを実践してきたので、馴染みのある言葉だが、まさか農業のお話で「曼荼羅」と言う言葉を耳にするとは思わなかった。時に自然の営みは我々に大きな学びを与える。土の中の微生物は死骸を土に戻し、土の養分となり生き物を育てる。その様は確かに命の曼荼羅だ。そこにはインドの神様のシヴァ神の力を感じる。破壊と再生。エネルギーの循環だ。私のヨガの師であるパタビジョイス師が「すべてのものの中に神が見える」と言っていたことが思い出された。
私は目も耳も心も開いて感じようと思った。どうやってこの言葉が出てきたんだろうかと、、、。私にとって星さんの話はヨガの話だった。哲学だった。
農業という自然を相手にした行為が人を育てた。抗えない天気、日々の努力、実践を積んできた人の揺るぎない力強さを感じた。農業は自然の脅威と恩恵をダイレクトに受ける。だから命の重みを体で理解できる。自分では抗えない自然の中で、継続して作業を続ける毎日。そんな日々が心の豊かさを育んだのではいだろうか。ヨガの練習もそうだが、継続が最大の自分の力となると感じる。私が始めてインドへヨガの修行に行った時、言葉もわからず不安でいっぱいだったが、それを支えてくれたのが日本での毎日の練習であった。積み重ねていくことが自分の自信へと繋がっている。行為の結果ではなく、行為の動機、心が大切である。志を高く日々実践していくことの美しさ。継続的、献身的な努力が心を育てている。星さんは土の上で心を鍛え磨いてこられたのだ!私にはヨガの行者のように感じる。
特に心に残ったのは「身の丈に合った等身大の取り組み」という言葉。さらっと言われたが、それは大変難しいことと私は思う。ヨガの哲学では「サントーシャ(知足)によって無上の喜びが得られる」という言葉がある。また、老子の言葉にも「足るを知る者は富む」とある。分相応というとなんとなく、卑屈のように思いがちだが、本当に強い人間でないと実践できないことだと思う。あるがままの自分を正しく見るというのは、簡単そうで非常に難しい。
高畠に魅了され、移り住んでくる都会の人が初めから専業農家になることを星さんは、薦めないと言っていた。始めから上手くいくはずはないから、最初は他に仕事を持ちながら、農業をやっていく事を薦めるそうだ。思わず、笑ってしまった。私がクラスを持っているヨガスタジオにも「ヨガのインストラクターになりたいです。どうしたらいいですか?」と言ってやってくる人がたまにいる。「ヨガはやったことありますか?」と聞くと、まったく初めてだったり、1,2年ほどだったりする。本や哲学や先生の言葉の意味を表面的に理解することは短い時間でも出来るかもしれない。しかし、本当にそれを感じるには実践していって自分の中で味わうしかない。ヨガの練習を重ねるほどに一生かかっても足りないということに気づかされる。農業ということがどういうものかは、やってみなければわからないものだろう。大概は頭で考えたようにはいかないものだ。
私もポーズをとろうとして練習していたときは、練習が辛かった。できるようになるために必死に練習した。それが精進していると思っていた。自分の中の自信のなさや無知や様々なものが結果を求めようとした。そんなものにすがろうとした。怪我をして動けなくなった時、私はポーズをとることをあきらめた。ただ自分のできることのみをやろうとした時、練習自体が喜びに変わった。体はいつもより不自由であったが、今までにない自由を味わった。それは何年もかかって鍛えてきた肉体、柔軟な体では得られないものだった。そして、一瞬で世界は変化した。手に入れようと思っていたものは、もう持っていた。目を自分に向けただけで苦痛が喜びに変わった。「身丈に合った等身大の取り組み」を体感するのに何年もかかった。それは無駄な行為ではないく、果物の実が熟すようなものに思えた。
インドでは自分の師匠のことを「GURU(グル)」と呼ぶ。それは「暗闇を照らす者」という意味がある。つまり、無知の者へ叡智という光で道を照らす者ということだと解釈している。星さんの家の前の畑には夜になるとゲンジ蛍が見られるそうだ。蛍が星さんの畑を照らす。そして、星さんが私達に進むべき道を照らしてくれているように思える。星さんは心の中に輝く星を持った高畠の大スターであった。
「ゲンジ蛍とカジカ蛙愛護会」の島津会長のお話は蛍への情熱が伝わってきた。町おこしで蛍を養殖して放流するところがあるそうだ。しかし、島津会長は養殖はやりたくないと言う。そして「川に見合っただけの蛍しか育たない」と言った。自分達の都合でしか考えている人からは出ない言葉だろう。蛍と自分達の育てた自然への敬意を感じる。情報やデータから出した答えではない。人々の心が自然を守りもするし、破壊もする。
お話の後、真っ暗な山に登り初めて蛍を見た。蛍の住むところへお邪魔させてもらった。とても幻想的な風景だった。美しかった、、、そう思う心が、慈しみの心が自然を守る。薬品の名前やデータを並べ立てられるより、この風景を味わうほうが何倍も効果があるように思える。単純で簡単ことを忘れてしまうほどに我々は複雑で鈍感になってしまった。子供のような豊かな心を思い出したい。子供単純明快だ。
二井宿小学校での、伊澤校長先生のお話でも子供の可能性に未来への希望を見出す。日曜だったので、子供達の姿は見えなかったが元気な子供達が想像できる学校だった。高畠では先ほど話しに出てきた、星寛治さんの提案から始まった学校農園が盛んな地域である。二井宿小学校では農業を通して、子供達の考える力を養っていた。押し付けた教育ではなく、たくさんの自然の豊かさと美しさ、そしてそれと同時に抗えない自然の力、命の重さを体感させる。野菜を育てることで心を育てている。
「これが正しい答えだから守りなさい。覚えなさい」というのが現代の教育のように思う。押し付けられた考えは自分のものではない。刷り込みの教育は、自分で判断する力が養われない。生きていく力、生活していく基盤が養われない大人へとなる。頭を鍛える教育から心を養う教育へ変化していく時期にきているのではないだろうか。頭の記憶より心の振動の方が深く刻み込まれるだろう。ただ、美しい日本を感じればいい。素晴らしい自然の力や命の輝きを感じることができれば、それらを軽んじることは出来ない。自ずと学び成長していくであろう。人は触れ合いによって、自分の位置を知り意味を知る。人の心が豊かになれば未来は明るい。
私は高畠に未来への希望を感じる。何もない田舎の町ではなく、気高い精神と自然に敬意と畏怖を持った調和の取れた未来の町を見た。私達が住んでいる自然の力を押さえつけたコンクリートの町よりも緑に包まれ豊かな町に生まれたい。成熟した優れた未来の社会をそこに見る。本当の豊かさを思い出そう。
<高畠町町民憲章>
1、自然と歴史を大切にし 調和のあるまちを作ります。
2、からだを鍛え暖かい心を育て 生きがえのあるまちをつくります。
3、誇りと喜びをもって働き 活力あるまちをつくります。
4、たがいに学び合い文化を高め 知性のあるまちをつくります。
5、郷土を愛し若い力を高め 希望のあるまちをつくります。
この「まち」は私達を豊かに育てるふるさと。その「まち」を作るのもまた人の心。私の心の中にも緑溢れた「まち」を作りたい。
種をまこう。
惜しみない水を与え、育む。
心の中に緑が溢れれば、目の前には心に描いた「まち」が広がっている。